小山田散策②山王日枝神社~小山田神社

[ ]山王日枝神社を出て、もとの道に戻りさらに北東へと歩いて行く。
程なく境川を渡る。かつてはたびたび洪水を引き起こし、山王日枝神社鎮座の切っ掛けともなったこの川も、いまは川幅も狭く、両岸を青々とした雑草に覆われて、のどかな野川の風情である。
川を渡ると道は再び緩やかな登りに転じる。住宅地のただなかを歩いて行くのだが、古い航空写真を見ると境川を挟んで先ほどの山王神社を含む集落と向かい合うようにして、対岸のこちら側にも川に沿って集落の家並みが続いており、現在の相模原市側が上矢部、いま歩いている町田市側は下矢部といった。

川沿いの下矢部集落の先は、60年代までは田畑と丘陵の森が続いていたが70年代以降に急速に開発が進んだらしく、その住宅街を歩いて行くと、桜美林大学の校舎が正面に見えてくる。
この地は創設者の清水安三が1946年に桜美林女学校を開いた建学の地であり、アプリで1947年の航空写真を見ると、たしかに一面の田畑の中、現在の崇貞館高校のあたりに学舎らしきものが確認できる。とはいえ、現在のような規模の大きさではなく、一宇の教会がポツンと建っているだけだったようだ。

いまや校舎も周辺も様変わりした桜美林大学最寄りのコンビニで飲み物を買い、さらに大学と道を隔てたベーカリー「ニューサフラン」でパンを買った。
店は3階建ての小さいアパートの1階で赤いテント庇が目印。店内は広くはないが20種類ほどのパンが棚に置かれていた。食パンに菓子パン、惣菜パンと町のパン屋さんらしい素朴な品揃えで、小ぶりで丸みのあるかわいらしいフォルムのパンが多かった。揚げたタイプと揚げないタイプの2種類あったカレーパンの揚げないタイプのもの、あんドーナツ、“おたのしみカード付き”に惹かれてメンチカツパンを購入した。

店を出て、さくら通りと名前が付いた道をさらに歩いて行くと、尾根緑道を過ぎた辺りで宅地が途切れ、丘陵地を切り開いて大賀藕糸館、ニーズセンター花の家、リサイクルセンターなどの施設が建ち並んでいる。
さくら通りを左に外れ、敷地の造成工事真っ最中のリサイクルセンターを右に見ながら進む。左側は開発から削り残されたように雑木林が残っている。
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少し進むと道は下り始め、住宅街が現れる。この住宅街も80年代に開かれたもので、それまでは木々に覆われた丘陵と麓に広がる水田が町田平山八王子線辺りまで続いていたらしい。

住宅街を左に入ると家並みが切れて、一面の蓮田の畔にでる。水の張った田から扁平な葉を鮮やかな緑に光らせた蓮が無数に群生して水面を覆っている。その向こうには町田平山八王子線沿いの住戸を挟んで、小山田緑地の丘陵の緑も見渡せた。
畔に建つ案内板によると、先ほど通ってきた大賀藕糸館にこの蓮田の蓮が提供されているとのこと。藕糸とは蓮の繊維を原料に紡がれた糸で、大陸を発祥とする。非常に繊細な作業を要するため大量生産には向かないが、現在もミャンマーではこの藕糸で織られた織物は聖性を持つとして曼荼羅や仏衣として使われている。大賀藕糸館では主にコースターや香袋を製作販売しているという。
これはあるいは偏見になってしまうかもしれないが、知的障害者の根気や集中力というのは、この繊細な作業に合っているのではないか。また逆にこうした作業が精神的な安定をもたらすということもあるのかもしれない。
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この蓮田に囲まれて一宇の神社が鎮座している。田中の畦道を歩き鳥居を潜って境域に入ると、朱塗りの柵に囲まれた大きな石灯籠が二基参道両脇に立っている。そのすぐ先に流造りの社殿が控えており、広くはないものの周囲は蓮田で高い建物もなく、いっぱいに降り注ぐ陽光に境内の木々の枝葉が影を映じていて、無住だが掃除の行き届いた清らかな境内だった。
ひとつ気になったのは、鳥居、石灯籠、社殿など境内のどこにも神社名が記されていないことである。普通なら扁額や石に刻まれていたり、標柱や由緒書きが掲示されているものだが、この神社では見つけられなかった。Googleマップには「小山田神社」とあり、その社名でネット検索した結果からも旧社名は内御前社といい、近代になって小山田神社と改められたらしい。ネットにはこのように堂々と社名が載っているので考えすぎなのかもしれないが、何か社名を掲示するのを憚る理由があるのでは、などと考えてしまった。しかし、青々とした蓮田に囲まれた景色はあくまで長閑で、そんな剣呑な想像はおよそ似つかわしくないものに思われた。
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